海外旅行での楽しみのひとつである現地の料理。海外でディナーを楽しみに訪れたレストランで味や見た目の奇妙さに「これはちょっと食べられないな…」という思いをした事はないだろうか?味覚と言うのは育った環境に大きく影響される。日本国内でも東と西であれだけ味が違うのだからこれが海外旅行の時の話になるとレベルが違ったりする。今回は僕が中国で食べることを躊躇してしまった料理の経験を語りたい。
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毎日、僕のツイッターには国内外問わず美味しそうな料理の画像が上がってくる。陸マイラーのブログを書いている為、海外旅行好きが多いので日本時間の朝からレストランでステーキを食べてる画像を見ることもしばしばだ。(現地は夜だったりする)大概の料理画像はみんな美味しそうで、いつか自分でも食べたいと思わせてくれる画像だ。けれども世界には色々な料理、色々な食べ方がある。同じ食材でも国によって、食べ方によって印象が全然変わってしまうということについて話をしよう。
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目次
中国で人気?個別に楽しめる海鮮鍋レストラン
少し前に中国に行った時の事を話そう。僕はその日の仕事を計画通りに終えて夕飯を食べにレストランに行った。仕事相手の中国人社長は海鮮鍋の店を予約してくれていた。その店はテーブルに人数分のコンパクトなお鍋が埋まっていて、お好みで具材を入れて個別に鍋が楽しめるスタイルになっていた。このスタイルが中国で一般的かどうかは知らないが、少なくとも日本では見かけたことはないと思いながら席についた。
勧められた物はとにかく食べるというルール
この日の海鮮鍋レストラン、名目上は一応接待という形式である。その為次から次へと料理が運ばれて来た。鍋の具材は貝類に魚やすり身の団子に野菜など、豊富で新鮮に見える食材が運ばれて来た。何種類か選べるタレは中国っぽい容赦ない味だったけど、僕は異国での初めての経験を楽しみながら食べていた。
僕には大事にしているルールがある。仕事や旅行で海外に行った時は勧められた物をなんでも美味しそうに食べることにしている。ベトナムではヤギの乳房を焼いた物を食べた。中国の田舎ではスッポンが丸々入ったスープも完食したし、台湾ではタニシみたいな巻貝を茶碗一杯分食べさせられた。
その手の現地食材は大体が「超美味しい」と言うには微妙な味だったが、僕は美味しそうに食べた。なぜかというと海外で仕事相手や出会った人と短期間で仲良くなるために、もしくは僕と仕事をしたいとか繋がりたいと思わせる為には振る舞われた食事を楽しむことは最低限の礼儀だと思っているからだ。ところがこの日の中国の海鮮鍋ではそんな僕のルールが通用しない「耐え難さ」を感じた食べ物があったのだ。
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生きてる食材を食すという試練
しばらくすると追加の具材が運ばれて来た。何が来たのかと思って見ると手の平くらいのサイズのカニと10㎝以上あるシャコだった。僕は甲殻類があまり得意ではないがお鍋なら適当にごまかせながら食べればいいか…なんて思っていた。
しかしよく見ると何かがおかしい事に気づいた。カニもシャコもゆっくりと動いている。僕は不思議に思い取引先の社長に聞いてみた。
僕「あのう、もしかしてこれ生きてませんか?」
中国人社長「ソウデスネ、ワタシ新鮮ナモノ用意シマシタ、アナタのタメダヨ」
僕「リーハイ・・・」(びっくりした)
ドラマチック過ぎる食材達
※画像はイメージです
僕は昔、釣りにハマって生きた魚をさばいていた。福岡で生きているイカ刺しも食べたし、白魚の踊り食いをテレビで見た時だって平気だった。でも実際に食卓で生きたままの食材をみずから調理して食べたことは一度も無かったので驚いた。取引先の社長は「サア、ドウゾドウゾ」と、僕を促す。僕は勇気を持ってカニをマイ鍋に投入した。 するとカニはターミネーターが溶鉱炉の中に親指を立てて沈むようにゆっくりと鍋の中に沈んでいった。
※画像はイメージです
少しずつ身を赤くしながら熱湯のなかに沈んで行くカニを見ながら、僕は心の中で親指を立てずにいられなかった。その姿は映画とは違うドラマチックさで後味が悪いものだったと思う。ちなみにその後に食したカニの味は…全く覚えていない。
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僕を見つめるつぶらな瞳
続いてシャコの番が廻って来た。こちらはカニと違って元気いっぱいに抵抗する。なんとか箸で捕まえた時には力いっぱい体をくねらせ、何本ついてるか解らない足をバタバタさせる。そしてシャコの極め付けはつぶらな瞳だった。
シャコA「食べちゃうの?ほんとに私を食べちゃうの?」
と、訴えかけるつぶらな瞳は2歳児の父親である僕の胸に深く突き刺さった。体を反らしながら抵抗するシャコAは僕に抱っこされて「パパじゃない!ママがいいの~!」と泣きわめく2歳の娘と大いにダブって見えた。
ちなみに下の画像はAmazonで見つけたリアルな「シャコの箸置き」。なんとか売ろうとするセールストークが微笑ましいので一度見て欲しい。
シャコAの最後の抵抗~死者にムチを打つということ~
「これも仕事の内だ、ごめんよ!」と心を鬼にして僕はシャコAを鍋に放り込んだ。彼女はまるで子供の頃に見た絵本の地獄の釜に入れられた罪人の様に激しく暴れ、やがて力尽きた。 その後、彼女を引き上げて殻を剥く作業を行ったのだが何層にも重なった彼女の硬い鎧は最後まで僕に抵抗した。絶命したシャコの皮を向きながら、僕はまるで勇者が死闘を繰り広げた末に倒した竜王の鱗を剥いでいる気分だった。そう、僕はシャコAの命の尊厳について考えずにいられなかったのだ。
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命を頂くということ
日本人なら当たり前のように使う「いただきます」という言葉をこの日ほど深く感じた事はない。もしかしたら僕らはその言葉を発することで、本来目にしなければならない命を奪う瞬間にある種の免罪符を作っているのではないかと思った。
中国で経験したあの日の出来事は僕が「命を頂く」という行為の残酷さと人生で初めて正面から向き合った瞬間だったと思う。
結局、自ら鍋に沈めたカニとシャコAをロクに味わうこともできずにレストランを後にした僕にとって、冬の中国の夜風は一段と冷たく感じられたのだった…。
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