海外旅行をしていると言葉の壁に当たることがある。義務教育であれだけ英語を勉強したのに英語を話せない…僕も間違いなくその1人だった。実際の英会話になると役に立たないと思う人は多いだろう。
この記事は海外旅行に行くときに英語が話せないという悩みを抱えていたり、海外旅行の為にもっと英語を勉強すればよかったと思う人に読んでほしい。英語を学んで英会話でコミュニケーションが取れたら、あなたの海外旅行にもちょっとした奇跡が起きるかもしれない。
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目次
海外旅行で英語が話せない自分との決別
30歳前半で仕事を止めた。なんで止めたかと言うと人生の折り返しをとうに過ぎてしまったと感じたからだ。「人間50年」なのか80年なのか、はたまた医療が発達して100年なのかは僕には解らない。30歳を過ぎて解ったのはずっと気になっていた英語を本格的に学ぶ時間は人生にはあまり残っていないと思ったからだ。
英語を話せないことが悩みだった僕は仕事を止めてからすぐにオーストラリアに向かった。海外旅行ではなく、英語を勉強するために語学学校に入る為だ。
英語学校ではヨーロッパや南米、アジアから来た若者達と楽しく過ごした。その時間は今でも僕にとってかけがえのない思い出である。
英語を話せない?海外旅行に行く時に感じたジレンマ
僕が英語にコンプレックスを持っていたのは旅先での出会いが原因だ。英語が話せないからサーフボード片手に波を求めて海外旅行をしている時に出会った人々と、僕は満足にコミュニケーションが取れなかった。カナダ人の優しいあの子、ブラジル人のノリの良い彼、海の中で会ったハワイのローカル…留学前の僕は誰ともわかり合うことが出来なかった。
留学を経て僕は日常会話には不自由しないくらいの英語力が身に付いた。外人さんとのコミュニケーションにも自信が付いた。TOEICの点数は仕事で使えるギリギリくらいだけど。僕が英語を勉強した経緯を簡単に説明するとこんな感じだ。
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英語が話せないなら勉強すべき?海外旅行で英語は必要なのか?
僕の答えはイエスだ。留学時代に僕は英会話が上達するにつれ幸せになる日本人女性を沢山見て来た。僕と同い年で大手航空会社のCAさんは金髪の彼氏ができた。仕事に疲れて会社の休職制度を利用していた彼女にとっては素敵な休息になっただろう。
日本でフリーターだった女の子は語学学校に入学した当初は毎日泣いていた。「私は自分を探しに来たのに言葉の壁が越えられない」と。僕は見ていられなかったので励ましたり、気分転換にドライブに連れて行ってあげたけど、3ヶ月もするとその必要はなくなった。
いつの間にか彼女は外人だらけのパーティーに行ったり、スペイン人の恋人ができたりと楽しそうに過ごしていた。他にもフランス人やドイツ人、イタリア人と恋に落ちた日本人女性の友達は多い。これは僕の周りだけかもしれないが、その友達の半分以上はなんと国際結婚までたどり着いた。
海外旅行を楽しめるのは英語を「話せない男」よりも「話せる男」という事実
日本人女性のモテっぷりに比べると日本人男性のそれは1/100くらいしか需要がない、とても残念なのだが現実だ。僕もご多分に漏れずモテなかった。では日本人男性は英語を話せても良いことないのかと言うとそうでもない。アジア圏の繁華街で夜遊びをしたかったら中国以外は大体英語が通じたりする。
日本人向けのお店は欧米人や現地人向けのそれより価格設定が高い場合が多いので割安で遊べたりする。そしてそういうお店では日本人が珍しいので重宝されたりする。また、現地の金持ち御用達のお店は日本の超高級店より色んな意味で凄い。それでいてお値段以上な価格設定だ。この辺の詳しい話は専門家に任せるとして、個人的には海外で楽しく遊ぶには基本的な英会話とカラオケのレパートリーに英語の曲を幾つか持っとくといいかなと思う。
海外旅行の際に英語を話せる幸せを実体験で書き出すとこんな感じだ。
・外人のCAさんと仲良くなれる
・航空会社と荷物の重量超過の交渉ができる(意外と譲歩してくれる)
・現地オプショナルツアーは英語の方が安い
・お土産を買うときに交渉しやすい(ナメられない)
・サーフィン時に海の上でコミュニケーションが取れる(波を譲ってくれたりする)
・家族旅行では頼りになるパパになれる(多分…)
・通訳レベルじゃなくても仕事での自分のポジショニングに役立つ
英語を勉強して海外旅行が楽しくなるきっかけは単純だった
僕は留学して英語を勉強した。後々に仕事や海外旅行で間違いなく英語を話せない時よりも様々な事が有利になったと感じている。新しいことを始めるのはいつも大変な労力を要するけどこれから英語を勉強しよう、もしくは勉強したいという人に伝えたいことがある。
それは英語を勉強する本質とは「伝えたいことを伝える」ことに他ならないということだ。たとえ海外旅行で英語が話せないから勉強を始めるとしても、自分が何を伝えたいかを常に考えて見てほしい。
僕は留学中にそれに気づいてから、英語の上達度合いが加速した。英語を勉強していた時に僕が経験した世界で一番素敵な授業の記事はこちらから。
英語を勉強しても、難しいと感じた価値観の違いはこちらから。
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海外旅行で英語を話せない時でもできること
海外旅行で英語が話せないとダメだ、なんてことは絶対にない。むしろどんどん海外旅行に出かけて、英語が話せない自分の限界を感じた方が勉強する気になるだろう。僕は英語の勉強と同時に必死になったことがある。それはマイルを貯めて海外旅行の費用を節約するということだ。
陸マイラーという言葉を聞いたことがあるだろうか?僕はほとんど飛行機に乗らずに年間数十万マイルを貯めている。それが陸マイラーのやり方だ。
その方法の一番大事なところを記事に書いているので興味がある人は読んでほしい。記事はJALマイルとANAマイルで分けてあるが、最終的にどのルートを通してマイルを獲得するかの違いなので好きな方を貯めるといいと思う。
JALマイルの貯め方
ANAマイルの貯め方
英語が話せないと経験できない海外旅行・バンコクで僕が経験した奇跡
こないだ家族でタイ旅行に行く機会があった。嫁の兄貴が仕事でバンコクに駐在しているので、義父母を連れて兄貴夫婦に会いに行くことになった。そこで英会話ができて本当に良かったと思える奇跡を経験した。
詰め込み過ぎの旅程
その日は半日のアユタヤ観光に行き、夜に義理の兄貴夫婦と夕食をとる予定だった。アユタヤ観光はなかなか楽しく、義父母も孫と一緒に象に乗ったりしてご機嫌だった。昼過ぎにバンコクに戻り、ご飯を食べていると嫁が王宮見学に行きたいと言い出した。明らかに疲れが見える義理の両親を前に僕は嫁に忠告こそすれ、「私の両親にとって人生最初で最後のバンコクなのよ」と言われたら抵抗出来なかった。
王宮の帰りの大渋滞
結局、タクシーを拾って王宮観光をした。タイ観光の目玉になるだけあって見応えのある建物だった。嫁も流石に両親に疲れが見えることに気づき早めに切り上げようと言い出した。でもこの時は国王が亡くなってまだそれほど経ってなく、王宮の周りの車道は封鎖されて20分くらい歩かないとタクシーを拾えない。ここから悲劇が始まった。
空前絶後の大渋滞
大通りに出てから事態の悪さに初めて気づいた。車が渋滞でほとんど動いてないのだ。タクシーを見つけてスクンビットの側のホテルを告げると、この時間に中心部に向かうのは自殺行為だと言われた。警官に駅までの道を聞いてもタクシーに乗れと言われるし、何台かのタクシーにも断られた。70過ぎの老夫婦と2歳の子供を抱えて僕は途方にくれそうになった。
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英語を勉強していたら海外旅行のピンチで交渉できる
困り果てた僕等に1台のタクシーの運転手が話しかけてきた。事情を話すと最寄りの駅まで行ってあげると言う。運転手は「それなら俺は家族との夕飯に間に合うし、お前らも電車の方が速いし、お互いハッピーだろ?」と言うのだ。初めてのタイで電車は少し不安だったけど、背に腹は変えられないのでそれでOKした。こういう時は英会話ができて良かったなあと思うものだ。
しかし、その後の渋滞は酷いものだった。運転手に言わせると軍隊が通る時は警察が手動で信号を操作するらしい。赤信号が15分間続いた後に青信号が30秒だったりした。最寄り駅まではGoogleマップで見ても10Kmあるかないかだったけど疲れ果てた老夫婦と2歳児を抱えて歩ける距離ではない。どうしようかと思って1時間くらいすると運転手がイライラしているのが伝わって来た。話を聞くと彼は家族との夕飯に間に合わなそうなことに苛立ちを感じていた。
「こんな渋滞は初めてだ、俺の仕事の時間はもうすぐ終わりなのに、畜生…」
そんなことを口走りだした…しかし、車は相変わらず歩行者より遅いスピードでしか進まない。僕はこの状況は本当にまずいと思った。日本では考えられないがここはタイだ。運転手はもう職場放棄寸前だった。
ここで職場放棄されてはたまらないと思い、僕は行動に出た。全く車が動かないのを見計らって彼をタバコに誘い、家族の事や彼の生い立ちについて質問する。自分の家族の話を聞かれることが嬉しいのは万国共通、ましてやここはタイ・バンコクである。笑
タバコを終えて車に戻っても会話は続いた。歴史のことや政治のこと、日本に対して知ってることなど色々話した。まずいと思って話し始めたが、彼が決して上手ではない英語で一生懸命話してくれる姿に僕も会話にのめり込んでいった。そしてさらに1時間くらいたってやっと駅についた。
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海外旅行で経験した奇跡は英語が話せないとありえなかった
僕は彼に多めにチップを渡してお礼を言った。彼は多めのチップが嬉しかったのか、家族との夕食に間に合うのが嬉しかったのか分からないが満面の笑みでさよならを言って去って行った。僕らは彼が物凄いスピードで車を発進するのを見届けてから地下鉄の改札へと階段を降りた。
行き先を確認し、切符売り場に並んでいた時に駅で誰かが叫んでいるのが聞こえた。ケンカでも始まったのかなあと思い、こちらは家族連れだから何かあったら逃げないとなんて思った。すると「ヘイ!ヘーイ!!」みたいな声がどんどん近づいてくる。何事かと思い振り返るとそこにはさっき別れたはずの運転手がいた。そして彼の高々と突き上げられ右手には嫁のバッグが握られていた。彼は走って来たので汗びっしょりになりながら笑顔で言った。
「ミスター、忘れ物だよ」
忘れ物を僕らに渡した彼は手を振りながら走って去って行った。嫁のバッグの中には嫁のパスポートとおそらく彼の月給の何倍もの現金が入っていた。彼がそれを知っていたどうかは解らない。ただ、僕の感覚ではアジアで忘れ物をして戻ってくるなんてすごいと思った。
この日の夜に義理の兄貴にこの話をした。すると義理の兄貴は感心した顔をしながらこう言った。
「タクシーの運転手が忘れ物を届けてくれたって?それはここでは奇跡や、バンコクの奇跡やなあ」
僕が英語を話して経験した奇跡のお話はこれでおしまいだ。彼がただ良識のあるタイ人だったのか、それとも僕が仲良くなったからバッグを届けてくれたのかは分からない。ただ僕は彼と話していた時、特にお互い父親としてこれからどうしていくかなんて話をしている時は確かに楽しかった。今はとにかく、カバンを追いかけてまで届けてくれた彼に感謝している。
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